東彼杵の「西海園」2代目 二瀬浩志さんが築いた、変革の軌跡
昭和44年7月に設立した、東彼杵町で製茶問屋業を営む「有限会社 西海園」。パリを舞台に審査される日本茶の品評会「Japanese Tea Selection Paris」や毎年400点近くの応募がある「日本茶AWARD」などにおいて、数々の賞を受賞している。
代表を務めるのは、二瀬浩志さん。先代の父親から会社を継ぎ、時代のニーズに合わせて様々な変化を起こしてきた。現在、代替わりをしてから15年目になる。二瀬さんのキャリアから活かされるアイデアと、共に茶業を歩む家族とのお話を伺った。
サラリーマンを経て、お茶の世界へ
幼い頃からお茶と触れ合ってきた二瀬さん。工場にも時々顔を出しては、働く父の姿を見ていた。
二瀬「父の仕事場には、よく遊びに行ってましたね。仕事の手伝いというか、邪魔というか(笑)好奇心旺盛な性格で、気になることは何でもやってみたかったほうですね。冷蔵倉庫の中に勝手に入って、閉じ込められたこともあります(笑)」
茶業では、4・5月が一年の中で最も忙しい時期。周りの友達はGWでお出かけする中、お茶の香りに囲まれて育ってきた。家庭にいる時とは異なり、仕事に対する父は厳格な表情であったという。
二瀬「初めから、なんとなく自分がこの家業を継ぐんだろうなと思っていました。仕事の話を聞いて、面白そうだなと感じていたので、特に嫌ではなかったですね。専門学校に行って、違う仕事をしばらくした後に、この世界に入ってきました。」
二瀬さんは高校卒業後、専門学校でパソコン関係の勉強を始める。その後、すぐには「西海園」に入らず、別の会社で6年間営業職を経験。26歳の時に、父へ会社を継ぐ意思を伝えた。営業の仕事も楽しかったが、いずれここに帰ってくる気持ちは変わらない。
二瀬「やっぱり、少し嬉しそうな雰囲気は見せてくれました。でもその後に、そんな簡単なもんじゃなかよって(笑)父親としての威厳、でしょうかね。」
まずは、一緒にお茶の仕事をやってみる。知識・経験もゼロの状態から、二瀬さんの「西海園」としての歩みが始まった。
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時代のニーズに合わせて舵を切る
二瀬さんの修行期間は5年ほど続いた。ほぼ缶詰状態でお茶のことや、販売・営業の方法を学ぶ。
二瀬「どちらかというと厳しい父だったと思います。あんまりアレコレ教えてくれるわけではなく、背中を見て覚えろ、という感じで。というのも、ブレンドは“1+1=2”じゃないんですよね。焙煎の温度に強弱をつけるなどしないと、お茶に個性が出ない。経験の積み重ねなんです。」
自分自身の感覚を研ぎ澄ますため、ひたすら勉強の日々だった。
そんな中、少しずつ二瀬さんも自分の持ち味を活かすように。会社のPRができる展示会の枠を引っ張ってきては、営業のノウハウを発揮していく。また、専門学校で獲得したスキルも応用し、ネット販売の導入を提案する。
二瀬「先代の時代は、問屋業が100%でした。製造・仕上げをして、お茶を売るお店に流す。だけど、それだけだと厳しくなっていくから、新しいやり方で差別化しないと。初めは、お茶がネットで売れるなんてそんな簡単な商売じゃないよって反対されました。でも、いずれはそんな時期が来る!そう信じ、先代の意見を押し切って進めたんです。」
そうしてホームページを作り、ネットショップを立ち上げた二瀬さん。初めこそ注文は無かったが、展示会へ行き、お茶を飲んでもらい、ホームページを見せて…。地道な努力を続け、注文数を増やしていった。問屋半分、ネット販売半分。二瀬さんがやっと手応えを感じられるようになったのは、お茶の世界に入って約10年が経った時のことだった。
二瀬「父とは考え方が違ったんですね。機械設備についても、使えるものは長く使う、と考えるのが先代。でも、新しい機械はどんどん増えていってる。お茶をティーバッグに詰める機械を導入したのも、地域ではここが初めてでした。父からは、そんなの入れてどうすっと?と聞かれましたが(笑)いやいや、逆に今から入れておかんでどうすっと?と言い返すくらいの勢いでやってましたね。」
絶対にそんな時代が来る。広がりつつある需要を読み、様々なサービスや設備をいち早く取り入れることを実践した二瀬さん。そうして反響が出始めた頃に、父は体を壊し、正式に世代交代をする流れに。結果的には、二瀬さんの意見と功績を認め、世の中に沿って「西海園」も変わっていかなければならないことに賛同した。
周りがやっていないことをやる。遅かったら意味がない。信念を持って、二瀬さんは先代からバトンを受け取った。
後継ぎの存在。次の世代に向けたメッセージ
2代目の二瀬浩志さんが代表を務めるようになって、ネットショップの開設や、新設備の導入、新商品の開発など様々な変革を起こしてきた。また、近年では品評会でも結果を残し、そのぎ茶の魅力をより広く発信しようと奮闘する。
そして今、次の世代を育てていく動きも。二瀬さんの次男・真次さんも、「西海園」で修行を始めた。
二瀬「実は、つい最近まで茶畑で修行させてもらってたんですよ。うちもお世話になってる「茶友」さんのところで2年間。自分も経験ゼロの状態から始めたし、後継ぎは学校を出たらすぐに家業に入るのが一般的なんです。だからこそ、息子には先に畑のことを知ってもらいたくて、行かせていました。」
入札会場で茶葉の買い付けに行った時に、ただ金額が安いか高いかの判別しかできないようでは、お茶屋さんとしては不十分。手入れや茶摘みなど、手間隙をかけられた畑の仕事は決して簡単にできるものではない。一通り畑仕事を経験し、自分たちが売るものの価値を肌で感じる機会を持たせたかったようだ。
工房で仕事を一緒にしたり、イベント出店に同行したりしているという二瀬さん親子。真次さんに色々な経験を積んでもらっていることには、もう一つの想いがあった。
二瀬「畑で経験したことや、自分が身に染みて感じたことを、自分の言葉でよその人に説明できるようになってほしいんです。今はコロナで出張販売や展示会などが思うようにできませんが、いつかまた人間と人間が面と向かってコミュニケーションを取ることが大切な時代が来るんじゃないかと思っていて。ネット販売はやっていますが、営業の時からそういう時間を大切にしてきたので。」
実際に人前へでた時に、自分自身の言葉でお茶の魅力を伝えることができるように。その力が、今後必ず活きてくる。二瀬さんは今までの経験を元に、これからの時代を予測する。
2代目となり、果敢に新しいことに挑戦し続けてきた二瀬さん。今のうちから少しずつ、実直な経験の大切さを次期・3代目へと継承する。バトンを渡すことになるのはまだ先の話だろうが、そのぎ茶の魅力を世の中に広めていくための、次世代へのメッセージが伝わってきた。共にお茶の商売を営みながら、「西海園」の歴史は続いていく。
西海園「みせ」についての詳細は以下の記事をご覧ください。
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