「もっと面白く、もっとワクワクな、長崎へ」。波佐見町のバスツーリズム『新栄観光』2代目代表・山脇 慎太郎さん

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『観光』という言葉を聞くと、自然と心がウキウキしてくる。特に、コロナ禍という外出制限がある社会情勢の中では、羽を伸ばしに遠出したい気持ちがこれでもかと高まっている。観光という言葉のもとの概念は、”日常の生活では見ることのできない、その土地の風景や文化、歴史を見聞する旅”を意味している。今でこそ楽しむための旅全般を指す言葉となったが、それでも旅先の空気を肌で感じることは、旅行者にとって生きた学びとなる。その意味において、ツーリズムは社会的に意義があり、世界各地の業者は大きな役目を担っているといっても過言ではない。

さて、長崎県波佐見町には、バスツーリズムの顔として『新栄観光』が名を馳せている。代表を務めるのは、二代目の山脇慎太郎さんだ。ワクワクする心を忘れず、新しいことを打ち出す姿勢は人の心を掴み、だからこそ氏の運営する会社に旅行プランを任せる人は後を絶たない。その秘訣と、情熱はいったいどこからくるのだろうか。

プロ野球選手を夢見た少年は、
怪我を経て医療看護の現場で働く

昭和58年に波佐見の地で生まれ、高校卒業まで育った。

山脇「小学生の頃からずっと野球をしてきました。というより、野球しかしてこなかった。中、高も波佐見町の野球部に所属し、どうせやるならプロを目指すという想いで野球を続けてきたんですが、怪我をしたことでプロ野球選手の道は諦めました」

これまで野球一筋の人生だった。しかし、怪我というハプニングで大好きだった野球を奪われ、目標を見失うことになる。

「高校を卒業して、いざ何をやるかと思った時に目の前にやりたいことが何もなかった。進路について悩んでいたら、ふと怪我をした時にスポーツ医療の現場で働く人たちを見て面白そうだなと思いました。そこで、福岡の専門学校で看護師の資格を取って看護師の仕事をしながら生活していました。その後は、レゲェミュージックが好きで音楽もやりたかったというのと、いろんなところに行ってみたいという想いで東京へ」

福岡で6年、東京で3年。それぞれ看護師の仕事をしながら暮らしていた。しかし、東京で暮らしているうちに持病の喘息が悪化し、長期に棲む場所ではないと悟った。”地元へ帰る”想いが芽生えたのは、その頃だった。

「今の仕事は観光業なので、東京にいた時にしていた医療とは全く異なる業種です。なので、波佐見町へ帰るきっかけは、仕事というよりまずは自身を取り巻く環境を変えるということ。そして、同郷の友人たちが同じように外へ出て、力をつけて地元へ戻ってくるタイミングであったということが大きいです。そこから、中古車販売と観光バス業を営んでいた両親が歳をとった時のことを考えるようになり、私も地元へ帰って両親の会社を引き継ごうと思いました」

地元へのUターン移住を決意。
すべては、『タイミング』にあり

両親が営む新栄観光は、中古車販売事業で創業し、2006年からは貸切バスの観光業も始めていた。

「帰ってきたのは2010年頃です。当時は、観光業というビジネスとしても、会社を運営することにしても、やっていけるかという不安はありました。東京にいる時は、単純に組織に属しているだけだったので考えることは比較的シンプルでした。ですが、仕事をするのであれば成長しなければ意味がない。東京で働いている時よりも成長度合いがグレードダウンするようならば帰るのをやめようと思っていたのですが、ただ、同世代の仲間が地元に帰ってきているということで自分もこの地で再出発しようと決めました」

昨今でこそ、UIJターンといった言葉が生まれるほど”地方移住”がキーワードとして叫ばれているが、何かを変えたいという気持ちが芽生えるかどうか、それを支える環境や人と出会えるかなど、タイミングが何よりものをいう。帰る時期が2年前でも、後でも。今とは全然違ったスタイルになっていただろうと山脇さんは語る。

「本当にタイミングだったと思います。帰ってくる仲間の存在や彼らの動きによって、故郷の波佐見町が自分を高めてくれる場所かもしれないと初めて思えました。その動きに自分も乗るかどうか。気がついたら、動き出していました。僕らの頃から1年に1人とか、狙ったわけではなく帰ってきて事業を行う人はいたし、今の20代の子たちもそんな感じだとは思います。10年くらいいったん外に出て、ある程度働いてみて、世の中の流れがわかって、そのなかで地元に帰る。ひとつのサイクルとして自然の流れではないでしょうか。なので、地方移住は何も特別なものではなく、誰でも考えることかなと」

「波佐見町の観光業に、新しい風を」。
観光会社としてイチから立て直す

「当時は、新栄観光が貸切バスによる観光ビジネスを進めていた時期。波佐見町が観光業のテコ入れをするということもあり、会社のこれからの成長戦略を描くときに『観光』というのがひとつのテーマになっていました。それは、町にとっても、長崎県にとっても同じくニーズがあったので、私はその分野を強化すると言ったらおこがましいですが、宣伝マンとして動いていこうかなと」

地元へのUターン移住を決め、波佐見町へと戻ってきた。業種の異なる全く新しいことへの挑戦、新しい環境。情熱は生まれても、両親の会社を継ぐには待ち受ける課題は多く、険しい道のりだったに違いない。

「創業は父と母だったので、これまで築き上げてきた社風から上手く脱却するということが課題でした。一組織を変えていくにあたって、どうしても時代や感覚のズレ、スピード感が違うので僕が言ったことはなかなか理解してもらえなかったし、両親がやっていることも理解ができないし。何かひとつを変えてみようというところで、悩むところは多かったです。例えば、新栄観光というブランドの価値づくりを徹底しようと。そこで、その場その場で異なるデザインを用いるのではなく、一会社のビジュアルとして顧客に分かってもらえるようにデザインを統一する。ですが、『何で、そんなものにお金ばかけんといかんとや』と。最初はそんなところからでしたね、会社としての意識を変えていったのは」

そこから、家族間で仕事に対する意識や価値観のすり合わせ、共有を行なっていった。

「また、当然のことなのですが家族経営から会社や法人など組織化する際に、これまで何となくで良かったものが、人を雇用するにあたってしっかりしていかなくてはならなくなった。それまで、看護師として働いていたので決算書とかも見たことがありませんでしたが、それを見るようになって初めて会社の売上を意識するようになっていきました。そして、会社を運営することに面白さを感じた。まずは、バス会社の一員として端的に現状の数字から中期計画を立てて追いかけてみようと」

帰ってくる以上は、後継ぎとしてしっかりしているか。周りからの期待に応えるため、仕事を通して社長としての自覚を持って行動するようになっていった。

コロナ禍という未曾有の状況に、
基本業務と新企画の両輪で立ち向かう

看護師という医療現場での仕事から、観光業という仕事にシフトして10年以上が経った。改めて、自分の仕事について振り返る。

「看護師の時もそうだったのでしょうが、私自身の中に人と接したり、面白いことをやったりするのがひとつのキーワードとしてあるのかなと思っています。ただ、他のスタッフがバス観光をしてくれている中で、私はダンプで走ったり長距離で走ったりする許可を取って、トラックによる運送業をメインにやっています。というのも、やりたいことをやりたければ、会社の基盤をしっかりと築いて、継続させないといけない。特に、観光業においては、この2~3年はコロナ禍による影響を多分に受けてしまっているので、とにかくベースをしっかりさせる必要があります。その上で、プラスのこととして奇想天外なことというか、こういう状況下においても新しいことを企画し、目指していく。同じことをやっていても、先はないという思いがあるので」

コロナウイルスが人間社会もたらす影響は極めて深刻だ。終わらない、先が見えない状況のなか、我々は常に苦しい選択の道の上に立たされている。

「最初の話に戻りますが、野球をやっていて良かったと思います。身体も、心も鍛えられました。特に、高校時代の練習が相当きつかった。毎日朝4時に起きて練習に行っていたので。走って、走って。いったい地球を何周したんだろうな。あれを経験してなかったら、きっとコロナでメンタルが折られまくりだったでしょうね(笑)。正直、コロナ禍の状況はバス観光業にとってもろにダメージを受けています。売上が、しばらくゼロの状態でしたから。どうしても、社会情勢はこっちでコントロールできません。観光事業は特に、お客様あって然りのことなので。そこは、すごく考えさせられる一つのきっかけになりました。だったら、自分が楽しもうと。これまで以上に楽しんで仕事をするために、新しいことをどんどん考え、生み出していきたい。同じ業務をやりたくないわけではないですが、自分の心から興味が湧いてくるように知らないことをもっとやるべきだと思って今に至ります。知っていることだと気合いが入りませんから。謙虚さも無くなるし(笑)」

波佐見高校野球部出身で、活躍している人は多いと言う。各々が、野球で培った3年間を別の方面で発揮しているらしい。「野球が教えてくれた根性は、ある意味私にとって宝です」と語る笑顔が印象的で、情熱やパワーの根源なのだとわかった。観光業界は、特に苦難の時期を迎えている。それでも、観光という立場から町や県と連携して町興しの一端を担い、発信することを止めない。波佐見町の観光業を代表する顔が、そこにはあった。

みせ・ことについての詳細は以下のそれぞれの記事をご覧ください。