そのぎ新聞販売センター所長、石高晃司さん。雨にも、風にも、雪にも、夏の暑さにも負けず。毎日、情報を活字でお届けします。

雨にも、風にも、雪にも、夏の暑さにも負けず。新聞はほぼ毎日、私たちの手元に届く。東彼杵町で使命感を燃やす所長。

雨にも、風にも、雪にも、夏の暑さにも負けず。新聞はほぼ毎日、私たちの手元に届く。決して防水・耐久性に優れたAIロボットの活躍ではない。昔と変わらず新聞配達というアナログな作業によるもので、地域の配達スタッフがどんな日にもバイクや自転車に乗り、新聞を1軒1軒届けてくれるから本当にありがたい。ネット社会とはいえ、新聞の役割はまだまだ大きい。情報媒体としてもちろんのこと、彼らは新聞を届けながら、地域の日常を見届けている。玄関先の新聞受けや郵便ポストがあふれることになれば、何かのサインと感じる。また、夜明けに地域を回ることは防犯対策にもひと役買っている。東彼杵町でその使命感を燃やすのが、そのぎ新聞販売センターの所長・石高晃司さん。新聞の販売に携わるようになり今年で10年目を迎えた。

(石高晃司さん)以下石高「佐世保市早岐の新聞販売センターに主任として就職したのが始まりです。早岐は部数が多かったこともあり、頑張った分は自分の成績となり、とてもやりがいを感じていました。営業職も私には向いていないと思っていましたが、意外と楽しくて。お客様の言葉を直接聞けることが何よりうれしかったですね。今までは仕事でありがとうと言ってもらえたことはありませんでしたから」

2014年にはそのぎ新聞販売センターを引き継ぎ、念願の独立を果たすことができた。佐世保の頃にはあまり意識をしていなかった東彼杵町。商工会青年部に入り若い経営者と接することでいい刺激を受け、この町のポテンシャルを目の当たりにした。

(石高)「東彼杵町に来て初めて人を雇うことになり、経営する難しさにも直面しました。そんな中で商工会に入ったことは大きかったです。同世代の仲間と知り合えて、かなり助けてもらいました。また、こんなにも考え方が違うのかと衝撃を受けました」

(東彼商工会青年部の仲間とその家族)

引き継いだ新聞販売センターは稼働を終えて久しい荷札工場だった。建物はかなり傷んでおり、雨漏りから新聞を守ったが、時にすきま風がチラシをめくった。全体的に黒ずんだ木材の空間は天井が低く、2階へ続く階段は倒壊していた。ほどなくして、趣や味はあると呑気なことを言っていられない状況に。家主に解体を告げられると、仲間は絶対に残すべきと口を揃えた。

(解体前の旧九州荷札印刷株式会社工場跡の様子)

(石高)「残そうとする意味が自分にはわかりませんでした。だからこそ、本を読んだり自分なりに勉強をしました。話を聞き、調べていると、荷札工場にはかつて地域の人が多く働いていて、それぞれに思い入れのある場所だとわかりました。千綿では青年部仲間の同級生が旧農協米倉庫を活用したまちづくりを進めていたので、私もここを何とかしたいという思いに駆られました」

しかし、すでに町を遠く離れている家主の強い意向は変わらなかった。粘り強く交渉に当った2年間、建物の劣化だけが進んだ。このまま決断を先延ばしにしていては、周辺の家屋に迷惑をかけてしまう。地域のためにと思って行動を起こしたが、それでは本末転倒。気持ちを切り換えて次の場所を探し、現在地に落ち着いた。

2021年2月、東彼杵町千綿地区も継承する

石高さんは交渉に費やした時間を決して無駄ではなかったと思っている。マイナスからプラスへ、東彼杵町に来て思考も変化した。千綿地区で28年営業した川尻新聞店の川尻昇さんから閉店の相談を受けた時は、迷うことなく引き継ぎを快諾した。

(石高)「川尻さんご夫婦は人柄で地域から愛されていたと伺っています。自分になって変わったと言われないように、プレッシャーはありますがプラス思考で頑張ります!」

新聞販売に携わる前は塗装工や鳶職、そして警備会社では万引きGメンも経験した。フィジカルもメンタルも強いと自負する石高さん。丈夫な身体を持ち、今日もスーパーカブを走らせる。

みせ・ことについての詳細は以下のそれぞれの記事をご覧ください。

みせ:東彼杵町の掲載記事をいち早く確認する「そのぎ新聞販売センター」

こと:そのぎ新聞販売センターでは、配達エリア拡大に伴い新聞配達スタッフを募集しています。

記事:飯塚将次
写真:小玉大介
編集:森 一峻

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