難しいからこそ、興味が生まれた。化学と生物の不思議を追い求める探求者。『株式会社アール 中村宏徳さん』

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株式会社アール(以下アール)』は福岡市と嘉穂郡桂川町を拠点に、施設・工場の稼働による汚染土壌や悪臭などの影響から環境を保全し、改善するサービスを提供する環境コンサルティング企業である。また、天然素材100%の成分であらゆる環境を正常な状態へ導く『酵素-R』を中心に微生物製剤や工業薬品の開発と製造も行っている。

アールで専務取締役を務める中村宏徳(なかむらひろのり)さんは、環境の正常化に関わる研究などに勤しむ一方で、地元の子供たちに産業資源の大切さを伝える講演やゴミ拾い活動なども実施している。フレンドリーでハツラツとした人柄も相まって、子供たちからは“先生”と呼ばれ親しまれているそうだ。

中村さんの原体験

中村さんは源氏を祖先に持つ佐賀県の名家で生まれた。中村さんには超未熟児で生まれすぐに亡くなった兄がいたが、物心がつく前から「お前には兄ちゃんがいるから、兄ちゃんの分まで生きなさい。兄ちゃんに楽しいことや面白いことを報告しなさい」と祖父に教えられ、毎日仏壇に手を合わせては兄に語りかけていたという。

やがて中村さんは次第に化学や生物への興味が芽生え、佐世保工業高等専門学校の物質工学科へと進学。高専では寮に入り、寮長を務める先輩や高専の先生たちから可愛がられた。親友にも恵まれ、全学年で学級委員長を務めながらボート部と写真部の部長を兼任し、学校も休みなく出席で皆勤賞。バイトにも熱中しつつとても充実した5年間は、中村さんの人生の基盤を築いていく大切な時間となった。

また高専に入学してから、中村さんの化学・生物に対する興味がより一層花開く。高専の4年生からは専門教科だけの授業となり、中村さんは化学や生物をより深く学ぶこととなるがこれまで以上に大きく実力が伸び、トップクラスの成績を収めるまでになった。

中村さん「僕は難しくて知らないことが嫌いなんで。化学は難しいからどんどん興味を持っていったら勝手に伸びただけなんです。例えば車とかバイクが好きな人がすごく車やバイクに詳しいのは、興味を持ったからなんですよね。そういった感じで自分もいかにしたいことに興味を持つかっていう気持ちで学び続けてたらこうなっちゃいましたね」

研究と発見の九工大時代

やがて中村さんは九州工業大学へ3年次編入し大学院まで進学。九工大では自然界にいる様々な分解菌(生き物の老廃物や死骸を土に返すなど、環境を本来の状態に戻す機能を持つ細菌)を見つける研究を始めた。

その際に中村さんがやりたかったのは、燃料となるバイオエタノールを作ること。全ての植物や植物の加工品に含まれるセルロースという成分を分解してグルコースという糖に変化させ、さらに酵母を使ってアルコール分解することでエタノールが現れる。

中村さんは米の稲わらに含まれるセルロースを使い様々な条件下で実験を繰り返した結果、田んぼの水を使えば最も分解がうまくいくと発見。全ての微生物(分解する細菌)はモノについており、その場に即した環境が分解に影響することから、微生物の力を使った環境の正常化について深く考えるようになった。

また、その研究のさなか、中村さんはその後の研究現場に大きな影響を与えることとなる。それまでセルロースの分解には強い薬品を使っていたため、微生物が死なないよう別のシャーレに移すなど多くの手間を踏んでいた。

中村さんはその手間をどうにかしたいと、思いきってトイレットペーパーをミキサーにかけてセルロースの培地を作ることに。いざやってみるとトイレットペーパーが綺麗に分解され、それまでは確認が難しかった分解の経時的変化も見られるようになった。この安全で効率的な方法は学会で評判となり、現在でも数多くの研究者が活用しているという。

意外と知られていない、産廃業のこと
酵素-Rは希釈して使う原液タイプとそのまま使えるクリアタイプの2種類。2023年初頭からくじらの髭の店舗でも販売される

実験に励んだ大学時代、中村さんはアールの社長となる片山繁隆(かたやましげたか)さんと出会う。片山さんと協力して複数の企業のパートナーとなり、生ごみ処理機やゴミ処理施設の共同研究を行うようになった。

やがて就職活動で複数の企業から内定が出たが、片山さんから「環境コンサルティング企業を立ち上げるから、ぜひ一緒に始めたい」と熱烈なアプローチを受け、アール設立に伴い入社。以来九工大時代の研究を活かしながら、様々な施設や工場などの現場から生活の場に至るまで、より良い環境づくりのサポートを続けている。

また中村さんは(公社)福岡県産業資源循環協会の理事として、マイナスイメージを持たれがちな産業廃棄物の認識を変えようと活動している。産廃業界は次世代の担い手が不足しており規模が年々衰退しているが、あまりにも身近な業界であるためか重要性に気付かれず、なかなか興味を持ってもらえないのが現状だ。

中村さん「産廃業が無くなってしまったら、ゴミで溢れてしまうんですよ。それでどうするんだってことで。僕が一番言いたいのは、現在『その他サービス業』として大雑把に扱われている産廃業を『環境事業』というひとつの立派な職業として認めてもらいたい、公的書面の職業欄の中に環境業・環境事業という項目を作ってほしいということ。それを実現するために県の理事もやらせていただいています」

日本のゴミの53%はリサイクルされ大切な“産業資源”として循環していること、産廃業に関わる人たちが誰よりも環境保全に携わっていることなどを子供たちに伝えたいと講演やゴミ拾いイベントを実施している。

中村さん「子供たちにゴミ拾いをしてもらった後、リサイクルや環境のことを話すと意識が変わるし、嬉しくなって親に話すんですよね。それで産廃業の重要さを認識してもらって、すごいことをしている人たちが産廃業界に関わる人たちなんだって分かると、興味を持って来てくれるかなって。そうやって業界の未来を繋げる後継者をつくることが50歳までの夢なんです」

そして中村さんはアールの事業所がある桂川町の商工会にも所属していることもあり、産業資源循環協会と商工会のコラボ環境事業の計画を進めている。これまでよりもさらに地元に密着した活動を展開し、子供たちへの教育へより一層力を入れていく予定だ。

2人分生きている
インタビューでは手相のお話も。中村さんの手にはとても見事な覇王線がある

現在まで複雑な道のりを歩んでいる中村さんだが、濃密な人生エピソードを伺うインタビューは実に1時間を軽々と超えた(泣く泣くカットとなったお話も沢山ある)。そんな中村さんの人生は常に亡くなったお兄さんと共にあった。

楽しかったことや面白かったことをお兄さんに報告するのは、中村さんの幼い頃からの大事な習慣だ。また、決断に迷ったときや大きな壁にぶつかったときに「兄ちゃんどうしようか?」と語りかけることもある。自分自身への問いかけでもあるが、お兄さんと一緒に話し合って考えているのだと思うと不思議と安心するそうだ。

中村さん「兄ちゃん大好きです。会ったことは無いとですけどね。面白いでしょう、濃ゆいでしょう、僕の人生(笑)。2人分生きてますもん、ちゃんと兄貴の分まで」

お兄ちゃん思いの少年は化学や生物の神秘に出会い、今や業界をリードする存在となった。中村さんはこれからもお兄さんと力を合わせて濃い人生を突き進んでいくことだろう。