能動的な「なかま」の心を動かし一つの作品を仕上げていく
2020年1月25日、わたしたちが運営するSorrisoriso千綿第三瀬戸米倉庫をリニューアルOPENした。その際に、Tsubnamecoffeeの店内の改装を全面的に担ってくれた隣町、波佐見町の作陶家、長瀬渉さん。作陶家?作陶家がなぜ改装?と思う方もいらしゃるかもしれないが、長瀬さんはこれまでも、いまではシンボルとも言える波佐見町の「西の原」を立ち上げたお方で自身のながせ陶房も旧陶苑を改修し、ライブ会場付きのギャラリーを作ってしまったお方だ。改装だけに留まらず、これまでもSorrisoriso限定の陶ブローチも展開してくれたりとここ数年いろんな「こと」をご一緒させていただいた。
そんな、渉さんは実は17年前に長崎にやってきた移住者だ。地元の人より地元の人っぽい。
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文化財をつくることで波佐見町に恩返しがしたい
2020年3月頃、コロナウィルス感染拡大という予期もせぬ事態が世界を襲った。例外にもなく、わたしたちも、もちろん渉さんたち「ながせ陶房」も大きな影響を受けた。これまで渉さんは、2015年ながさき陶磁展の入賞をきっかけに交流を深めた t.gallery 御手洗照子氏の企画により東京アメリカンクラブ「フレデリックハリスギャラリー」にて個展を開催したり、日本橋三越本店美術画廊にて個展をされたりと長崎県内のこの年代の作家では、この境地に達する作家さんは他にはいないのではないかと思う。そんな折、さすがの渉さんもこのコロナウィルス感染拡大の状況で、全国で決まっていたあらゆる個展を断った。
よしっ! 文化財をつくろ!
と、渉さんからの連絡があった。ん、なんの話ですか? と私は話を疑った。
渉さん「文化財だ。全ての個展を断ったから、モリッソ手伝ってくれ。世界でまだ成功事例のない、倒炎転式薪窯をつくりたいと思っている。近い方式の窯で半倒炎式窯(イッテコイ窯)と言うのは日本に3台作られたらしいけど6年前に完成した信楽の窯業技術センターの1台だけ成功しているらしい。でも完全なる倒炎転式だからこれが成功したら世界初だ。「倒炎転式薪窯」という学術名を付ける。特徴は薪の種類に左右されない火力、焼成時間の速さとコントロール、還元焼成、酸化焼成、炭化焼成、還元落とし、塩窯、灰被り等ありとあらゆる焼き方が出来る革命的な窯だ。これを完成させて今度は波佐見町に恩返しをしたいと思っている」
と、焼き物のことは私にはよくわからないけれど、ここでなんだかワクワクすることがまたはじまるんだなという直感と、改めてものづくりの経過に何か関われるのだということが頭をよぎった。わたしたちも仕事の合間にしか行けないかもしれませんが、行ける日は行きますんで連絡してください〜と話をし、これから先は何度か行けた日と、東彼杵のメンバー川崎が記録撮影した写真でお伝えしていきます。
まさかの土壌づくりから
2020年5月末。さて、はじめて話を伺った時、一体どこに窯を作るのだろう。工房が広いので工房の中かな。とか思いつつ私が駆けつけた頃には、すでにはじまっていた何やら大掛かりな作業。到着すると、いつもの仲間と何やら、裏の辺りの崩れかかった家屋を解体し、土地をユンボで掘り起こしている。
まさか…。
そのまさかは、的中した。
渉さん「明治時代からこの土地に眠っているレンガを掘り起こし整備してから窯をその上に建てる」
やっぱり、想像以上〜。これはおもしろくなるな。といつもの直感を感じたのでした。
コトをどれだけ早くすませるかより、どれだけ時間をかけるか、かけれるか
いつも、渉さんからは体感的にいろんなことを教えてもらえる。渉さんのよく言う「価値づくり」これはきっと、この時間をかけてしか味わえないもの。このレンガの時にはこんなことをまた教えてくれた。
渉さん「耐火レンガには耐火度といって対応温度ってのがあって、ピザ窯やバーベキューコンロに使うのはSK30~SK32のホームセンター等で売っている200円~300円程度の無印レンガ。陶芸で使うのはSK32以上で本命のSK34が今回のゴリアテ。ゴリアテ1丁600円前後1丁500円だとしても1500丁で75万円分の価値。まあ半分以上がSK32だけどでも本当にこれはお宝だよね。耐火レンガをゴリアテと呼んでいるのはただの気分ね。ラピュタの敵の飛行船のゴリアテとは何の関係もないけど、何となく言ってみただけ。ちなみにゴリアテとは弱者が強大な者を打ち負かすという意味ね」
小さな一歩を積み重ねる方が多くを学べる。小さな一歩を繰り返す方が大切なコトを見失わずにすむ。
コトをどれだけ早くすませるかよりどれだけ時間をかけるか、かけれるか。それを経た人が誠実な価値を生む。コツコツ進もう
この便利な時代に、自分たちはすっかり慣れてしまい時間までも買ってしまっているんだろうなぁと改めて考えさせられた。
先ほどの話を聞いてから、掘り起こされたレンガが並んでいるのを見ると、単に計算された金額の価値のお宝ではなく、「時間」という付加価値が深まったレンガに見えた。期待は上がりつつも、まだこの時にはこのレンガたちがどんなふうに積み上げられ、これがどんな窯の表情になっていくのか、私の頭の中には浮かんでいない。
血の繋がり以上の付き合いしてんじゃねぇかなぁ by 長瀬渉
ながせ陶房に行くと、いつも頭に連想されるのが「家族団欒」だ。のちに完成する薪窯のお披露目式に私の父までも来たいと言い出すとはわたしも想像してなかったが、そのぐらい血の繋がり以上の関係性にさせてしまう「こと」がいつもながせ陶房では巻き起こる。その一つの象徴として、私たちにも「一緒にご飯食べよう〜」と声を掛けてくれる。時には、音も奏でる。渉さんが昔、ウッドベースを弾いていたことは聞いていたが、持ち出したのはギター。それがまた軽くギターをならしていたレベルではないぐらいうまい。そこに、ながせ陶房の仲間、昔、歌手志望だったキンキンが歌を添える。ながせ陶房のそんなひとときが、作業を癒し、血の繋がり以上の付き合いを生み出しているのだと感じる。あと、ひとつだけ、音だけでなく、なんと料理もうまい。奥様の恵子さんの手料理もおいしい上に渉さん自身も料理できちゃう。不器用なわたしからすると考えられない。
渉さん「人生は食べたモノと、出会った人で作られていく。どちらも豊かであった方が良い。海(渉さんの娘)の友達である子が嫌いな魚を食べれるようになった。1つ豊かになった。子供の成長を目の当たりにすると大人も豊かになれる」
渉さんが、いつも突然、なんだか意味深な言葉を口にする。その発する言葉がわたしの学びになっている。
やってみる。は自分がまずは。
渉さんからは、消化されない価値を作りたい。ここに新しい文化を作りたい。と言われ、渉さんの姿を見てきた。指揮を取る姿はリーダーでもあり、率先して自分でもやってみる「ファクトリー型」のリーダーだ。わたしがいろんなプロジェクトで組み立てるときは、この渉さんの姿から連想し、時間はかかるが「価値づくり」に重きを置いて判断をしようと心がけている。写真を見ての通り、腰がいてぇと言いながらも、器用にいろんな事をこなしていく渉さん。この姿に察して仲間もみなさん動いていく。その姿がきっと楽しそうだから、ただの単なる労働にはなっていない。そういつも感じる。
歴史的瞬間が気づかぬうちに積み上げられていく
みんな元気かね?とラインが届く。私たちが、また次に行く頃には、基礎となる石で柱をはめ込む「沓石」を渉さん自身が組み、スーパー大工マン千賀さんが小田原から泊まり込みで来ていることもあって建屋の梁と柱を組み立て、ひたすら野地板を貼り、屋根は出来上がり、レンガも積み上がってきていた。instagramのストーリーで私は様子を見ては、現場で作業をやりたいという気持ちが焦り出していた。この時に、ここで体を動かしたいという、能動的な感覚を生み出されていることは自分の心の中に沸々と湧きあがっていったことは、脳よりも先に体が感じていたのだろう。これが渉さんの言う「単なる労働」ではなく能動的に動く「価値づくり」なのかもしれない。そう思った。やっと現地にいけた時には、窯の姿がうっすら見えはじめている頃、そこではじまったのが、コンクリートの目地をハツリ窯土を削る工程。
目標は3000丁。
渉さん「気の遠くなる作業も、価値を理解した仲間がいれば、苦痛を半減し楽しさを倍にする。一生懸命の先がみたい」
さあ、次のステージだ
さあ、次のステージだ。
と声がかかったのは、2020年9月。窯土台用レンガ選別、仮組、竹林にて伐採、マルマゲ施工用の竹ひご作り(竹割り)土台のアンコ用レンガ確保をやるからダイエットしたい人はフルでも大歓迎です。そんな冗談を交えた物腰柔らかいお誘い。またもや、内容がわたしには全然わからない。何をやるのかわからないけど、見てみないとわからないし行ってみよう。
到着して、やっとここで、渉さんの頭に描く、倒炎転式薪窯ウロボロスの絵を見せてもらい、説明を受けた。不器用なわたしは話を聞いても、想像が追いつかずまだ頭に入らない。まぁとにかく自分で動いて自分で見てみないとわからないからまずは、渉さんの言う、竹を切り出しに行こう。でも待てよ、実家の筍堀りは幼少期からやっていたので手慣れているけど、長い竹はどうやって切り出すのだろう。と、そんなレベルの想像の元、竹林に向かった。
竹林に到着して感じたのは、想像以上に大きな竹。
渉さん「根元から切り出し、あとは下からひっぱりだすんだ」
と言われても、この大きな竹切れるのか〜。とこんな経験をしてなかったのだと少し悔しい反面、好奇心を刺激された。そこで、千葉からやって来たスーパー大工マンの千賀さんが手際よく切り出し始め、見ているとなんだか楽しくなり気づけば何十本もの大きな竹が、いつもはながせ陶房のライブ時にお借りしている駐車場となる広場に広がっていた。
渉さん「家の中で悩んでいるコトに満足してもしょうがないモノ。人は動きすぎてダメになるより 何もしないでサビつくほうがずっと多い。何もしないことは疑いと恐れを生み出す。行動は自信と勇気を生み出す。人の才能ってのは、そんなに差があるモンじゃない。その差は小さいが努力の差は大きい」
まさに、この時、わたしは「文化的体育会系」だと直感し直訳した。
そして取って来た竹の節取り作業をなかまたちで行う。これがマルマゲってことなのか。単純な作業なようでなかなか手強い。きっとこの時も単なる作業だと、みなさん感じておらず楽しそうに黙々と、時に笑い声が響きながらも作業は進んでいた。
渉さんの頭の中が少しずつ見えてくる
2020年11月。ここからは、私の記憶ではもう早送りのようにあっという間にレンガは組みあがり、私たちが現場に行くたびに窯の姿が見えてきてはいるが、写真を撮るだけで私たちは作業をできない日も続き、気持ちは焦るばかり。それでも、渉さんと千賀さんで、渉さんの頭の中をどんどんカタチにしていく。くぅ〜なんだかここで創っていく姿がさらに羨ましくなってきた。
倒炎転式薪窯「ウロボロス」の名前の由来
疎いわたしが、はじめて聞いた時には、まったくとして名前もピンと来ないし、なんのこっちゃと思っていた「ウロボロス(Ouroboros)」仕上がっていく過程で、渉さんが教えてくれた。
渉さん「ウロボロス(Ouroboros)」自分の尾を噛んで、環を作る龍のこと。真理と知識の合体を意味し、破壊と創造そして永続のシンボル。ウロボロスは始めと終わりがないことから永劫回帰や無限性を現したり恐ろしく多くの象徴を表現する神獣。規定されず規定し得ないもの」
ソレがウロボロスの最大の特徴。
価値までが消化されてしまう今、消化されない価値を作りたい。後世永劫の価値。金で作ったものではなく人で作ったモノ。みんなの想いを乗せたウロボロス。
この子を文化の財産にしてみせる。
トータンの沢山の想いをこめて
ここでやっと、ウロボロスと文化財の意味が繋がったわたし。ここに来て、やっぱりこうやって関われたことに単なる「窯」でもなく、単なる「薪窯」でもなく、いつか、文化財になり得る倒炎転式薪窯「ウロボロス」を手伝えたのだと。その「価値」に深く有り難みを感じ、同時にこれからの生み出す「こと」や「もの」の価値を見直していくことの大切さを教えてもらったのでした。
いよいよ完成に近づき見えてきた倒炎転式薪窯「ウロボロス」
そう、ここで「あの時の竹」が少しお目見え。こういう過程が見えるのがまた醍醐味で、これ、わたしたちが切り出した竹ね〜なんて、ほんの少しお手伝いしたぐらいでちょっと自慢したくなるこの参加意識の高まりようが、きっと渉さんが自然といつも仕掛けてくる能動的な罠なんでしょうね。
長崎県、波佐見町と東彼杵町の関係。
歴史は繰り返されまるでウロボロス
完成に近づき、倒炎転式薪窯「ウロボロス」は渉さんの描いた描写とほぼ同じ形をしていた。わたしたちが渉さんたちと取り組んでいるのか、ここにきてあらためて、お伝えしたい。のちに窯上げの日に渉さんが涙しながら語っていたのをわたしは、渉さんが移住した頃からずっと渉さんを見てきたNCCのカメラマン鴨川さんと川越アナウンサーが撮影した様子で知った。その時にも渉さんが、波佐見町と東彼杵町のことを話していくれていたと後から聞いた。
東彼杵町の今があるのは、中尾次郎左衛門のおかげ
東彼杵町はお茶とくじらの町。お茶の産地では珍しく茶畑から海が見渡せる国内でも唯一無二な風光明媚な町だとわたしは思っている。その景色の今があるのは、この渉さんたちが拠点としている中尾郷に住む中尾次郎左衛門のおかげだった。次郎左衛門は大村藩の農業を豊かにすること、それから当時、水害が多かった土地柄であった東彼杵町付近をどうにかしたいと、貯水をできる溜池を作りたかった。そのためには多くの資金が必要であったため、一頭七浦儲かると言われていた捕鯨に目をつけ、和歌山の太地町へ捕鯨を学びに行き、その知恵と技術を長崎に持ち帰り、五島沖で捕鯨。その鯨を荷揚げする拠点がシーボルトの目と言われていた、川原慶賀も描いている彼杵港だった。その後、鯨で得た資金を元に、大村市の野岳湖を含む5つの溜池が東彼杵町千綿地区中岳郷や一ツ石付近に今も残っている。その功績が讃えられ、のちにその当時の大村藩の藩主、大村純忠から「深澤義太夫勝清」と名を授かったのだった。
このエピソードを考えると、今回のこの取り組みや、今も昔も、波佐見と東彼杵がこうやって行政区を超えた地域連携がなされているのもきっと必然的だったのかもしれない。
渉さん「ということで餅まきをしたいから、餅の準備やみんなに手配をしてくれ」
と東彼杵チームに声がかかった次のお題は、「餅まき」
お披露目会まであと一週間。それはそれは急ピッチで皆さんにお声掛けし前日に、Sorrisorisoのリニューアル時に手伝ってもらった親戚のおばちゃんを連れ、餅つきの機械をながせ陶房に持ち込み、もち米を水に浸け仕込む。明日、朝からもち米ついて丸めてって本当に間に合うのか。という不安を他所に、いよいよ当日。渉さんがみなさんにお声掛けしてくださっていたので、千綿のニュー婦人会や波佐見の渉さんの仲間がどんどん集まってきて、お昼の餅まきまでに仕上げるんだと物凄いチーム力で餅が出来上がっていく姿に、これまた感動したのでした。
いよいよはじまったお披露目会
想像をはるかに超えるチーム力でいろんなことが瞬時に生まれていく姿に、お金では動かない人の能動的なチカラをまざまざと見せつけられたのでした。そんな出来上がってきた餅をまいたのは近隣の方や、子どもたち。二回の餅まきを開催し近所の方への御礼の気持ちと子どもたちにこの瞬間を見せたいという渉さんの気持ちに応えるために約400袋の餅や、オカシノフルカワ協賛のお菓子が天を舞い、みなさんにお裾分けされたのでした。
窯入れの瞬間、点火の瞬間。窯の温度は目指すは1200度超え
渉さんと同じく、たくさん怒られながらも可愛いがってくれた、渉さんの親友、岡田さんの遺骨を釉薬に施した作品も窯に入れて行く渉さんの姿。私たちも初夜を一緒に朝まで迎え、窯の火を見守った。ここから先は文中にもお伝えしたNCCの川越アナウンサーとカメラマン鴨川さんがお伝えした収録動画や長崎新聞の六倉支局長の記事で是非、見ていただきたい。
(前編)波佐見町の陶芸家・長瀬渉の新窯ウロボロス【NCCスーパーJチャンネル長崎】
(後編)波佐見町の陶芸家・長瀬渉の新窯ウロボロス【NCCスーパーJチャンネル長崎】
窯入れや火入れの瞬間の様子はこの記事を読んでほしい
波佐見町、東彼杵町、川棚町の3町を含む東彼杵郡。長崎新聞のそのエリアを担当しているのは、六倉支局長。普段より、私たちの動きにも密着くださり今回の火入れにも薪を焚べに六倉さんはやってきていた。その時の様子を、六倉さんが長崎新聞に綴っている記事が感動した。是非ともここから先の物語はこの記事を読んでほしい。いつもながらにここまでも長い文章になってしまったが、一言では語れない渉さんからの学びをここに残しておきたかった。
つづく
火入れ2日目朝方、疲れ果て柱に寄りかかるスーパー大工マン千賀さん。(写真提供:城後光さん)
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